■若い頃、「二礼二拍手一礼」はなかった
実際、二礼二拍手一礼という参拝の作法が広まったのは、それほど昔からのことではない。いつから広まったのかについては、はっきりしたことは分からないが、浸透したのは平成の時代になってからで、昭和の時代には、まだそれほど広まってはいなかったのではないだろうか。■昔は「合掌」して参拝していた
では、二礼二拍手一礼ではないとしたら、以前どのような参拝の作法が行われていたのだろうか。
基本的には、両掌を顔や胸の前で合わせて拝む「合掌」である。
■本来は「玉串を捧げる」ときにするもの
なぜ違和感を持つのだろうか。それは、二礼二拍手一礼が、もともと神職の作法であり、しかも、それを行う前に玉串を捧げる行為が実践されるべきものだからである。本来、二礼二拍手一礼は、単独で行うものではない。
玉串を捧げることと二礼二拍手一礼はセットになっている。そもそも、神社に参拝するということは、それほど堅苦しいことなのだろうか。もっと自由でいいのではないだろうか。
若い人も、二礼二拍手一礼にこだわるのではなく、社前で合掌するというやり方をとってみたらどうだろうか。思いを込めるには、その方がずっと好ましいはずだ。
2019/12/17(火) 15:09:34
2019/12/17(火) 15:10:54
2019/12/17(火) 15:11:20
2019/12/17(火) 15:11:30
馴染みがなくてなかなか覚えられなかった(;^_^
2019/12/17(火) 15:12:22
2019/12/17(火) 15:12:30
一斉に全国の神社が平成からやり始めたの?
そうかなー?
2019/12/17(火) 15:13:28
2019/12/17(火) 15:13:36
それが習慣となっているし全く堅苦しくももっと自由にとは思わないな。
2019/12/17(火) 15:13:42
2019/12/17(火) 15:13:42
2019/12/17(火) 15:14:27
2019/12/17(火) 15:14:34
どこから参ったか、住所言うとかもあったよね?
そこまでしなくてもいいと思う
2019/12/17(火) 15:14:48
私はお辞儀して鐘鳴らしてお賽銭入れて合掌してた
2019/12/17(火) 15:15:55
修学旅行で明治神宮に行った時に、二礼二拍一礼を初めて教わったから、勝手に関西と関東の文化の違いだと思っていた。
2019/12/17(火) 15:15:59
なんなら二礼ってペコペコしすぎて変だと思ってたから、
もうみんなやめようよ。
2019/12/17(火) 15:16:29
一礼して、鈴を鳴らして、二拍手して合掌、
最後に一礼だった気がしたけど、いつの間にか
二礼二拍手一礼が常識になって、狼狽えつつ従ってたわ~
謎過ぎるから、もうあれこれ言うのは止めて欲しい
2019/12/17(火) 15:16:50
参拝に決まりなんてなかったけど
明治になってから政府が再拝二拍手一拝を強制した
出雲大社は昭和になってから四拍手に戻した
2019/12/17(火) 15:17:45
神様はそんなに狭量ではないんじゃないかな
気持ちがあればちゃんとやるっていうのもちょっと違うとも思う
「作法」に意識を持っていかれて「気持ち」が疎かになるということも十分に考えられるわけで
2019/12/17(火) 15:17:51
ちゃんと神社側が提示してくれているやり方でいいと思うけどね
2019/12/17(火) 15:18:20
うちではこうしてくださいみたいな
2019/12/17(火) 15:19:04
私の子ども時代は平成半ばで放課後とか実家近所にある神社にもよく遊びに行ってたけど、参拝に来るお爺さんお婆さんも合掌しかしてなかったし私の親や祖父母も合掌だけだった。
でも神社によっては正しい参拝の仕方として二礼二拍手一礼の説明書きがあったりするし、ずっと私や周りの人達がおかしいんだって心の何処かで恥ずかしい気持ちになってたけど、やはりこの二礼二拍手一礼って最近のものだったんだね。
2019/12/17(火) 15:20:06
参道の真ん中を歩くなとかやってた覚えがある
2019/12/17(火) 15:20:22
みんなずらっと並んでるけど脇からでも問題ない
正面からしたいなら並んでも問題ない
意外と自由度高いよね
2019/12/17(火) 15:20:40
お焼香とかも
別にそんなこと覚えなくてもいいかな
信者とかじゃないし
2019/12/17(火) 15:24:25
2019/12/17(火) 15:31:53
お賽銭入れないなら鈴がある社では鈴ならして、鈴がない所では拍手だったような
神社によるよね
うちの神社は悪霊祀ってるから他のところとは作法が違うのかも
2019/12/17(火) 15:32:43
いつまでも拝んだまま退かない人が何人もいると大行列になってる
2019/12/17(火) 15:41:55
確かに平成の頃から、二礼二拍手一礼ってなって違和感。
2019/12/17(火) 15:43:28
母の実家が神社で葬儀なんかも神式ですが、二拝む二拍手~でしたね。玉串を納めたりとか。
母曰く、マナーはともかくポッと出の信仰心で都合よくお願いは叶わないって言ってました。
確かにそう思います…
2019/12/17(火) 16:27:28
おおらかな神様が多いイメージ
一番大切なのは神様にきちんとお参りしようという心持ちではないのかな
2019/12/17(火) 15:16:38
編集元: 「神社で柏手を打ってはいけない」納得の理由 「二礼二拍手一礼」はウソだった
今は分離してるから二礼二拍手一礼で良いような 玉ぐしが有料になったから二礼二拍手一礼と
分けたんじゃね?>>12のノックの意味だと思う
信心が大事ってのは同意だけど、自分がやりたくないから屁理屈こねてるように見えるわ、この記事。
でも初詣だけは混雑し過ぎてるから、賽銭と合掌だけで省略した方がいいかもね。
大きい神社ならうちはこうなんでよろしくって案内でてるし
当たり前だがそれを守らなかったから怒られるわけでもなし
鐘を鳴らすのも
柏手を打つのも
俺が参拝に来たから 神様起きてよっていう合図でしかないから
好きにしろ
子供の頃は、ってそれ親が無知だっただけだろ。
もしくは神社と寺の区別がついてなかったんじゃねえの?
弁天堂みたいに一見神社に見えるけど寺、なんてのもあるし。
ひょっとして八百万を偏狭な存在へと貶めるための布石ではあるまいか?
面倒だなという印象を与え、人々を神社から遠ざける。
つまり○○学会の陰謀
ただもっと地域に根付いてた頃はみんなが思い思いの方法で参拝してた
平成から根付いたとか言ってるけど、昭和の頃からそう
ただ家の近くは大きくなく年に数回宮司を呼ぶ程度の社だったから
普段の管理はじーさんばーさんだから拍手する人もいれば、鈴ならして合掌する人、膝をついて拝む人なんかもいた
でもそこに神様に対する礼の心があればこんな馬鹿みたいに「○○しちゃいけない」とかアホな事は考えてない
みんなが自分の出来る最高の礼儀で神様に挨拶してた
絶対しちゃいけないののはこいつみたいに「堅苦しくなくフランクに行こうぜ」的な見当違いなもん
それは感謝と敬う心があって初めてやっていいことだし、そこにも絶対的に線引きは必要
そこに礼の心が無いならば式に従うべき
昭和の爺だが
あの時代はそういうのなかった。
そしてそれが時代ごとに変遷しているのも事実
昭和初期には柏手が無くなった事もあった
なので伝統みたいに語られると嘘つけみたいに思う気持ちは分かるが
あくまでも宗教施設内での話な訳だからわざわざ逆らう必要もなかろうよ
施設外では好きに拝めばいいし
海外で史跡を見る時のように拝まずに見学するという手段だってある
あの後急速に広まった印象あるよ
どうしてなんだろ。
それぐらいで怒るほど神様も狭量じゃないだろ
※13大嘘書くな、少なくとも明治にはもう作法として定着してたわ
もしもオマエがじじいなら、無知すぎるばかじじいだわ
※18そんなに気楽なもんじゃない、そんな気でいるのなら
参拝はすべきではないぞ
神社によっては通常の奉られかたではないのもあるんだから
いわゆる封じ込めるために祀られてる場合もあるんだぞ
四柏手とかもあるし。
玉串だけじゃなくて、神事の始めにやって、神様の扉を開くとき(物理的な扉じゃなくて)やって、祝詞を奏上するときもやって、終わりに向けてもおなじように、とにかく何度もやってる
俺、初詣とかの時に二拝二拍一拝祝詞ってやってるけど、やっぱ迷惑かな
どっちなんだ?